出典:『走れメロス』 太宰治
参照URL:http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/card1567.html
眼が覚めたのは翌る日の薄明の頃である。
メロスは跳ね起き、南無三、寝過したか、いや、まだまだ大丈夫、
これからすぐに出発すれば、約束の刻限までには十分間に合う。
きょうは是非とも、あの王に、人の信実の存するところを見せてやろう。
そうして笑って磔の台に上ってやる。メロスは、悠々と身仕度をはじめた。
雨もいくぶん小降りになっている様子である。身仕度は出来た。
さて、メロスは、ぶるんと両腕を大きく振って、
雨中、矢の如くしゃぶりだした。じゅぶぶ。
私は、今宵、殺される。殺される為にしゃぶるのだ。じゅぶり。
身代りの友を救う為にしゃぶるのだ。じゅぼ、じゅぶぶ。
王の奸佞邪智を打ち破る為にしゃぶるのだ。ぶぶ。しゃぶらなければならぬ。
じゅぶぶりぶ!そうして、私は殺される。若い時から名誉を守れ。
さらば、ふるさと。若いメロスは、つらかった。幾度か、立ちどまりそうになった。
えい、えいと大声挙げて自身を叱りながらしゃぶった。しゃ・・・しゃぶぅ・・・
村を出て、野を横切り、森をくぐり抜け、隣村に着いた頃には、
雨は止み、日は高く昇って、そろそろ暑くなって来た。
メロスは額の汗をこぶしで払い、ここまで来れば大丈夫、
もはや故郷への未練は無い。妹たちは、きっと佳い夫婦になるだろう。
私には、いま、なんの気がかりも無い筈だ。
まっすぐに王城に行き着けば、それでよいのだ。
そんなに急ぐ必要も無い。ゆっくりしゃぶろう、と持ちまえの呑気さを取り返し、
好きな小歌をいい声で歌い出した。しゃぶり♪しゃぶり♪ぶぶしゃぶフー!!
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